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超久しぶりに更新
2011年03月22日
先日、福岡時代の知り合いの方より
「ブログチェックしてるけど更新してないぞー」と声をいただきました。
忘れてた・・・
この機に登録住所を博多から関東へ移動しましたんでヨロシク!!
「ブログチェックしてるけど更新してないぞー」と声をいただきました。
忘れてた・・・
この機に登録住所を博多から関東へ移動しましたんでヨロシク!!
うおっしゃー!!
転勤になります
2009年01月27日
会社から異動の話がありました。
4月1日付けで東京へ異動となります。
引越しは3月20日(金)の祝日に・・・
福岡に丸10年いましたが、新天地にて仕事。
車遊びもちょっとやりにくくなりそう
4月1日付けで東京へ異動となります。
引越しは3月20日(金)の祝日に・・・
福岡に丸10年いましたが、新天地にて仕事。
車遊びもちょっとやりにくくなりそう
危ないって・・・
2008年12月17日
画像をクリックすると動画が見れます
12月14日の軽耐久レース最終戦です。
シケイン手前でブレーキングをするのですが、無理やり突っ込んでくる車が結構います。
最近、接触アクシデントが多発するのが心配でしたが、案の定・・・
運転していたドライバーは「後ろから来る車の動きが怪しかったので、ここではインに寄らずにちょっと引いた」そうです。
タイミング的にはインを刺す余裕が無い(前走車に優先権がある?)ので、進路妨害になると思うのですが・・・
もし、突っ込んでこないだろうと思って普通どおりにインに入っていたらと思うと恐ろしい・・・
前を走っていたオレンジ色の車が巻き添え食らってお気の毒です。
軽耐久レース第6戦
2008年12月17日
12月14日、エムズ軽耐久レース第6戦が行われました。
2008年度の最終戦になります。
2年連続年間ポイント1位をキープするには、負けるわけにはいきません。
第4戦・第5戦では真・R1GPトゥデイ耐久号がレース前日にトラブルで走れませんでしたが、今回は整備万端。
今回の車のエントリーネームは裏・R1GPトゥデイ耐久号!!
敢えてラジアルタイヤで挑むという私たちの信条を捨て、Sタイヤを使用します。
一つ不安があるとすれば・・・Sタイヤを履いてのテスト走行をやっていない事です。
足回りのセッティングが出来ていません・・・
とにかく全力を持って挑むことに変わりはありません。
・・・ところが・・・今回は運に見放されました。
3時間のレース中、他チームのアクシデント続出で6回も全コースフルイエロー(追い抜き禁止)が発生。
内4回が私たちの周回数に影響がありました。
1回目・・・ペースカーが入ったとき、トップチームの真後ろにいて約1周分のロス
2回目・・・ペースカーが隊列を整えるために出した指示を理解していないチームが目の前にいて約半周分のロス
3回目・・・イエローが解除されてピットインした途端、またコースを飛び出した車がいて全コースイエロー。ピットロードで5分以上も待機
4回目・・・2回目と同じ
ライバルチームは特にミスも無く、順調に周回を重ねていきます。
私たちは3位で、ライバルチーム2位のままどんどん時間が無くなっていく・・・
R1GPトゥデイ耐久号は今までよりもかなり速くなっていますが、ライバルチームはもっと速くなっていました。
Sタイヤを履いたことではあと2秒は速く走れるのですが、やはり足回りのセッティングが合っていませんでした。
コーナーリングで車がポンポン跳ねて、前に進まない・・・
ここで早目にピットインの指定回数をこなしていたので終盤になって順位が変動。
なんと!!我らR1GP2008選抜チームが660Aクラス1位!!
2008選抜チームの最年長(走り暦20年)のベテランに最終走者を託します。
とにかく逃げる逃げる逃げる・・・
・・・が、最後の最後にライバルチームに追い抜かれてしまいました・・・
チェッカーを受けるその差、約3秒
残念ながら総合5位・660Aクラス2位。年間ポイントも逆転され2位に陥落。
2年連続チャンピオンを惜しくも逃してしまいました。
来年度こそは・・・勝つ!!
(けど、私が会社の異動で東京に転勤になれば毎回は走れないかも・・・)
軽耐久レース第5戦
2008年10月08日
10月5日(日)
エムズさん主催の軽自動車耐久レース第5戦
2年連続シリーズチャンピオンを取るためには今回の結果が重要。
今度こそ真・R1GPトゥデイ耐久号「改」の真価を発揮する時!
・・・のはずだったのですが、
前日の練習走行でエンジンからオイルが漏れが発生・・・
やむなく今回もヴィヴィオ耐久号の出番です。
今回はエントリーしている660Aクラスは5台しかいません。
なんでも学校の運動会がある関係で、家族を優先した方が多いとの事。
手を振っているドライバーは「レース>家族」のようで・・・
台数が少ないとはいえ、年間ポイント争いをしているチームは参戦しているし、鬼速い車のチームもスポット参戦。
重要な一戦が早くもピンチ状態
しかし、やるからには全力を持って挑みます。
当日は雨が降っていて路面はウェット。
まだ何が起こるかわからない。
と期待していたら天候が回復。
路面が乾いていき、他のチームはガンガン飛ばしていきます。
相変わらずヴィヴィオは同グループのラップタイムで10秒以上遅い・・・
台数が少ないためか、イエローフラッグの出る回数が少ない。
序盤から差はどんどん開いていく・・・
と思ったら、同クラスの内2台が車両トラブルのためリタイヤ。
最低でもクラス3位は取れますが、年間ポイント争いをしているライバルチームは未だ健在。
レース開始して1時間ちょっとが経過。
現在クラス2位だけど既にクラス1位のチームとは3ラップ差・・・さすがに今回は無理か・・・
半分諦めながら、私の走行が終わったときにチームメイトから信じられない言葉
「いまクラス1位」
!!
なんでもクラス1位の車が車両トラブルを抱え応急処置にしばらく時間を取られたとの事。
その差は逆に約4ラップのリード!!
後はとにかく逃げるしかありません。
我々の「ミス&トラブル無しで全力走行」を発揮。
・・・ちゃんと前見てー!!
で、今回はピットインのタイミングを計り、ロスを極力避ける作戦が大当たり。
我ながらここまで計算通りだと感心する。
けど、レース終盤でなにやら天候が怪しくなってきた・・・
最終ドライバーは私ヒョヒョ。
天候はあたりが薄暗くなるほどの雨。
路面は画像の通り、ヘビーウェット。
私の予想通りなら、トップのままゴールできる計算。
・・・私がミスしなければね
無事にチェッカー!!(ミスしなくて良かった)
結果は・・・クラス1位!!
2位のチームはどんどん追い上げてきてました。
危ねぇ~・・・
これで再び年間ポイントクラス1位。けど2位とは2ポイント差。
最終戦でどちらか順位で上になった方が年間シリーズチャンピオンになれます。
最後は・・・勝つために禁を破るか?
復活!!真・R1GPトゥデイ耐久号改
2008年09月21日
前回の練習でエンジンブローをしてしまったトゥデイが直りました。
エンジンのオーバーホールをするにあたり、
腰下部分は1号機・ヘッド部分は2号機のパーツを元に行っています。
オーバーホールメニューは普通。
ただ新品に近い状態に戻すだけ…だったのですが、ちょっと細工がされています。
どのくらい効果があるかはわかりませんが楽しみです。
ちなみにATからMTに変更する時にファイナルギアを換えているので、それも合わせるとどんな事になるのやら…
次回のレースは新品のMTRECエンジンの本領を発揮できるはず。
その前にしっかりとナラシ運転をしないといけませんが。
とうとうここまで走ったか
2008年09月03日
ちょっと前、愛車インプレッサで帰宅してメーターを見ると走行距離が99,999キロだったので記念撮影
10万キロ目前。
ついでにちょっとあたりを走らせて10万キロにして記念撮影。
メーターが0キロになると思ったけどそれは無かった。
一昔前は10万キロが買い替えを考える節目だったけど、まだまだ現役で行ける。
田舎に帰った時の話
2008年09月01日
私の両親の田舎は愛媛の山奥。
両親は近所(と言っても数キロ離れているが)で、盆正月は1日で両方行けるので楽。
母方の家は結構古くなっていて、画像のようなちょっと変わったオブジェクトが多い。
私が小さい頃は、馬・牛・鶏・兎がいて、養蚕業もやっていた。
風呂は現在ボタン一つで全給湯式になっているけど、以前は薪を炊いて沸かす石風呂(?)。慣れないと火傷する。
トイレは今も家の外の縁側に出た奥にある。冬は無茶苦茶寒い。
画像は腰に刀を携えた福助。家を護るお守りらしく、地元では大体の家にあったそうです。
従兄弟の子供はこの福助の目線がどこにいても見られている
という事でこの部屋には入りたがらないそうです。
そう言えば、学校の音楽室のベートーベンの肖像画もそんな感じだったな。
で、こちらが私の母方の曾々祖父(右)・曾祖父(左)
どちらも90歳以上長生きされたとの事。5年程前に亡くなられた祖父も90歳以上でしたな。
曾祖父は明治5年生まれで、曾々祖父は江戸時代生まれ。
この時代で90歳以上生きられるのはある意味すごいのでは?
家を継いでいる叔父さん言うには「曾々祖父は見たこと無い」と…
ん?ちょっと待て…じゃあ曾々祖父は西暦何年生まれだ?
私の母は今年で還暦の60歳。6人兄弟の末っ子だから、家を継いでいる叔父さんはおそらく65歳以上。
その叔父さんが生まれた頃には亡くなられていたので、ちょうど90歳で亡くなったとしたら…
どんなに少なく見積もっても1853年以前
1853年といえばペリー提督が「開国シテクダサイヨー!」と黒船でやってきた年
新撰組が池田屋襲撃して、誰かが階段を転げ落ちてる頃に曾々祖父は10代前半
第一回夏季オリンピックがアテネで開かれたときは既に40歳以上